宗教系の学校を選ぶ理由

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宗教系?非宗教系?我が家がキリスト教の学校を選んだ理由

お久しぶりザーーーーード👌(←まだ長瀬ロス) モモ(@momo82387353)です。

中受沼のみなさまと楽しく交流させて頂いているTwitterで、以前話題あがったあの件。

 

 

私自身も娘が受験塾に通い始めたころは、同じように宗教系に入れる意味がわからない、と思っていました。

なのに結果的に娘の出願した学校はほとんどキリスト教系の学校

 

すたでぃ
すたでぃ
何でそうなったの?

 

学校訪問を重ねたり、校長先生のお話を聞いたりして、さらに過去問を解くようになって気持ちが動いていったんですね。

 

てなことで、今回はなぜ私たちの気持ちがキリスト教系の学校がいいなと思うようになったのか、私の考えたことを書いてみたいと思います。

 

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本当は宗教が嫌だった

もともと私があまり宗教寄りじゃないもので、というより、歴史上の宗教がらみ権力者の横暴なふるまいの数々に引いていたし😅、税金がかからないこととか、スゴイお金が集まってくることとか(←想像)からの不信感で、どちらかというと

 

宗教に頼らないで学校を創立して運営してる学校こそ、若者に教育環境を与えたいという崇高で純粋な志があったに違いない!

 

とか思って、逆に宗教系の学校の良さを知ることを、宗教という理由だけで拒んでいたところさえありました。

 

すたでぃ
すたでぃ
食わず嫌い。

おっしゃる通りです。

当時の私は「宗教」というだけで、なんか悪いことして集めた金が動いているに違いない、みたいな思い込み(←ひどい)でよく考えることもなく、その良さを探ろうとさえしていませんでした。

すたでぃ
すたでぃ
もったいない!

うん、もったいないね😅。

 

とはいえ宗教系の学校には歴史ある名門校がたくさんあります。

学校選びのため、4,5年生のうちはとにかくいろんな学校に行って実際学校の雰囲気を肌で感じてみようと、宗教、非宗教問わず、学校説明会や文化祭などに足を運びました。

 

すたでぃ
すたでぃ
あの頃はまだコロナもなくて、良かったなぁ。

ほんんとにね😥

 

 

我が家がキリスト教系を選んだ理由

学校訪問を重ねるうち、だんだんと気持ちが変わっていきました。

ざっくりとした印象でいうと、宗教系(我が家はキリスト教系のみ)は伝統校が多く、上品な感じ。

非宗教系はもうちょっとカジュアルというか身近な感じ。企業みたいな身軽さで新しいこともどんどん取り入れていくフットワークの軽さみたいなのを感じました。

 

キリスト教の精神

私が学校説明会で重視したのは、校長先生のお話や先生方の雰囲気でした。

 

校長先生のお話の中で必ず紹介されるのが、学校の沿革。

我が家はキリスト教系の学校ばかり訪問しましたが、志ある方が私財をなげうって女子教育のために学校を創設したというお話をきいてまずその崇高な精神に胸を打たれました。ミッション系が布教も目的としていたことを差し引いてもです。

自分に同じことができるかと考えてみると、どうやっても無理という結論にしか至れません。そこまで私欲を捨てて人のために与えることが出来るのは、キリスト教の愛の教えが根底にあったからなんだろうと感じました。

そもそも、どんな宗教でも元々の教え自体は素晴らしいものだというのはわかっています。ただその影響力を利用して悪さしたやつもいた、というだけで。

教え自体は高潔なものに変わりなく、そこにある愛や、やさしさや、思いやりは本物なのだろうとは私も理解しているつもりでした。

それを学校訪問をして、お話を聞いたり、先生方の対応がやさしさあふれる対応に接するにつけ、これは本物なんだと思うようになっていったのです。

中には、この学校90%やさしさでできてる!と思うような学校もあって、安っぽい言い方ですけど、本当なんて優しい人たちなんだって。この学校で育ったら優しい子に育つかもって、思ったよね。単純ですけど(笑)。

 

人間教育の観点

宗教系は、例えばキリスト教なら「礼拝」とか「讃美歌」みたいなイメージが強いかもしれません。

キリスト教の家庭でないと馴染みもなく、宗教色の弱い日本の社会では特にそこらへんが受け入れにくいというところもあると思います。

ですが、キリスト教系の学校は、表だって見える儀式的なことのまえにキリスト教の精神に基づく教育が行われているという素晴らしさがあるのです。当たり前だけど😅

私もクリスチャンじゃないし、じゃあキリスト教の精神ってなに?と言われるとあまり詳しくないのですが💦自分も愛し隣人も愛するといった「隣人愛」の考え方にはすごく共感しました。

私は子供たちには自分のことを愛せる人に育ってほしいと願っていたし、周りの人にも思いやりをもてる人であってほしいと思ってきました。

だからまず目指す人間像として、とてもマッチしていると思ったのです。

 

でも、言葉の上ではどんなふうにでも美化して言うことが出来ますよね。

その点は、実際学校を訪問したときの学校側の気遣いや生徒さんのふるまいから校長先生が話していたことはおそらく本当だと納得することができました。

そのうえで、中高という人格形成に重要な6年間をこういう環境で過ごしたら、きっと愛情豊かな思いやりある人になるだろうなと思うようになりました。

 

 

国際感覚の観点

もう一つの理由が、国際感覚というところです。

キリスト教だと欧米が主になりますが、将来グローバルに活躍することを想定したらキリスト教の知識があることは絶対に損にはならないと思ったのです。

 

いろんな国の人

 

生活に根付いているキリスト教

私は学生の時、一時北米に留学をしていたのですが、日常生活でわからないことが多々ありました。宗派は色々あれど、やはり社会にはキリスト教の考えや習慣が根ざしています。たわいもない会話の中でも、キリスト教文化がちょいちょい出てきて言っている意味がわからないことがしょっちゅうあるんです。それくらい人々の生活の背景にはキリスト教が当たり前存在しています。

すたでぃ
すたでぃ
日本社会で例えると、お清めの塩みたいなこと。

そうそう。塩はお清めに使いますが、普段の友人同士の会話の中で冗談で「ちょっと塩まいといて!」なんていったりしませんか?そういった言葉が会話の中でやり取りされても、その文化のない外国の人が聞いたら、何で唐突に塩??!って、なりますよね、きっと。

そういう場面が私も生活していていっぱいありました。

当時は学生だったし、よくわからなくても致命的なことはありませんでした。外国人に理解のある友達は察して説明してくれることもありましたし。

でも言葉が話せるようになってくると色んな友達ができるようになって、いちいち会話を止めてそういう説明をしてくれる人ばかりでなくなります。
上のお清めの塩の例みたいに、会話の流れで全くつながりの見えない単語が聞こえたら「言葉の意味は分かっても、発言の意図が分からない」みたいなことがしょっちゅうあって、でも話の腰をおるのも楽しい雰囲気を台無しにしそうで野暮だしなぁと、得意の「笑って流す」を盛んに発動していました😅。

 

判断基準にキリスト教がある

キリスト教圏の人々には、生活の中にキリスト教が浸透しています

どんなことを判断する場合でも、それなしにはあり得ないくらい自然なことだと昨年のキリスト教学校フェアのオンライン対談で、女子学院の鵜崎先生もおっしゃってました。

キリスト教の学校で学んだ子は、キリスト教の教えや風土がすでに身についていて、将来グローバルに活躍するとなった場合に(キリスト教学校ならキリスト教圏の)人々と同じ土台の上で議論ができる、ということになります。

外国に行って働くということでないにしても、色んな人を理解できる、というのは強みになるだろうと私は考えています。

 

すたでぃ
すたでぃ
特にコロナ禍で、物理的距離は以前より関係なくなったしね。

キリスト教系の学校も検討されている方は、キリスト教学校フェアのオンライン対談の動画も参考になるかもです。

 

この動画のなかで、司会の東洋英和の野村先生が「もし自分の学校に入ってくれなくても、どこかのキリスト教の学校で学んでくれたらいいなと思いますよね」というと、他の二人の先生方もうんうんと頷く場面があって、

ホントこれだよな~😊と

キリスト教系の学校に訪問した際いつも感じた、自利度外視みたいなやさしさ。

きっと仏教でもやさしさと賢さが満ちているのだろうと思いますが、日本に住んでいて割と情報の入りやすい仏教とかよりも、キリスト教など別の宗教が学べるチャンスを活かすのもいいのではと思うのです。

動画の中で先生も「ダブルスタンダードになっちゃう」みたいなことを言ってましたが、むしろそれがありがたい。日本にいながら、キリスト教を深く学べる、こんなチャンス逃すのもったいなくない?

 

でも私、神道の下ネタ満載、わがまま放題の神様も嫌いじゃない😏

 

芸術を理解するときに役立つ

海外旅行にいったら、有名美術館はとりあえず行きますよね。

ニューヨークならメトロポリタンやMoMA、パリならルーブル、オルセー、オランジェリー。

そんな時、キリスト教の知識があったらなと痛感します。

 

受胎告知

 

古い絵画の多くが宗教画で、キリスト教の知識がない私はせっかく素晴らしい絵(多分)を目の前にしても「ふーーん」で終わる😅(スマセン!)

背景がわかっている人がうらやましいなと毎回思うのですが、一から勉強する気力もなく・・・。

なるべく理解しようとキリスト教の本も手に取ったりしますが、大人になって日々の生活を送る合間に付け焼刃で学ぶのでは、宗教画を楽しめるほどには到底なれません😭😭😭

 

絵画に限らず、音楽も彫刻もキリスト教知識があることで、100倍楽しめるようになるはずだと思っています。

子供たちにはせっかく本物を拝めるチャンスが巡ってきた時に、もっと深く理解して楽しんでほしいのです。中高6年間毎日触れていれば、キリスト教圏で生活するような自然な形でキリスト教の歴史や考え方が身についていくだろうと思います。

 

以前暁星の説明会に行ったとき自分でもこんなことツイートしてました(笑)。

 

この本、有名な絵画を取り上げて、どんな場面が描かれたものなのかわかりやすく説明してくれています。おもしろい!
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SDGsはとうの昔にあたりまえ

キリスト教でも仏教でも、宗教ってかなりスケール大きな世界観になっていると思います。

上のキリスト教学校フェアの対談の中でも、昨今求められているSDGs、キリスト教では今求められているから取り組むのではなく、SDGs的な教育はもともとそこにあった、と話されています。

もともと、地球上のどの人も同様に神様の子であるから、同様に愛すべき存在。みなが末長く幸せであるための生き方を模索していくことを教えている(多分)ので、いま改めてSDGsを意識する必要もないくらい、自然にやっていることです、とおっしゃっています。

確かに、SDGsと親和性高いかも🙄

今ようやく気付き始めた地球の危機、一度古代の教えに立ち返って大切なことを見直すというのも一つかもしれません。

 

てことで、中受親的に言うと、特に宗教系を受験されるかたはSDGs、入試問題に意識しときましょう!と急に世俗的になってみる(笑)。

 

 

まとめ

ピュアな世界から、俗世間に戻ってきたところで、今日は終了としようと思います(笑)。

あくまで私個人の考えです。

私が娘の受験校選びをするうちに、我が家の方針が大きく変わっていった宗教か非宗教か?という部分。

こんな考えもあって最終的にキリスト教系の学校を選びました。一経験談としてご参考になれば幸いです。

 

キリスト教系の学校にはいったら

  • 自分や他人を愛する教育を受けられる かも
  • キリスト教圏の人を理解する土台ができる かも
  • 西洋の芸術の理解も深まる かも
  • SDGsが身近になる かも

こんなふうに考えてました。

 

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